【雑記】有名な戦国武将のパパとジュニアを紹介しよう
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はじめに
華の日曜日!
kitchenです。
今日は出掛けようかなとも思ったのですが、
面倒くさく家でゴロゴロしておりました。
スターウォーズの予習ができたので、よしとします。
Vをみたのですが、ヨーダがよぼよぼすぎて
「あっころんじゃうよ、大丈夫?」
思わず声が出てしまうほどでした。
さて、今日は有名な戦国武将のパパ(父親)とジュニア(息子)を紹介していきます。
今日は東海地方編(静岡、愛知、岐阜、三重)をお届けします。
それでは、どうぞ!
【織田家】
織田家と言えば、織田信長。
愛知県のご出身です。
ではパパとジュニアはどんな方だったのか。
<パパ>
まず、パパはこの方。
織田信秀(のぶひで)です。
拠点としていたのは、今の名古屋城。
昔は那古野城という書き方でした。
この信秀さんですが、武勇にすぐれ「尾張の虎」と恐れられていたそうです。
織田家は、信秀、信長と優秀な当主が続いたんですね。
<ジュニア>
そして、ジュニアはこの方。
織田信忠(のぶただ)です。
織田信長には、子供がめちゃくちゃいて、
信忠は信長が20代前半のときに長男として生まれます。
幼少、奇妙丸という名付けられたあと元服して信忠を名乗ります。
その後、武田家との長篠の戦いで織田家が勝利したあとは実質的な後継者に。
結局、織田家の後継者はその後、清須会議まで不在ということとなりました。
もし、京都ではなく北陸や中国地方にいれば歴史は変わっていたかもしれませんね。
【羽柴家】
さて、つぎは羽柴家。
羽柴家と言えば、羽柴秀吉。
ちなみに、羽柴の前は木下という姓でした。
羽柴としたと言われています。
<パパ>
秀吉のパパはこの人。
元々、秀吉は農家の子でした。
なので、歴史的な資料が少なく、どんな人だったかあまり明らかではありません。
秀吉に対して厳しい人だったのが分かります。
<ジュニア>
この方を知ってる人は多いでしょう。
豊臣家最後の当主、豊臣秀頼(ひでより)です。
ちなみに、秀吉はあまり子供に恵まれず、養子をめちゃくちゃとっています。
そんな中、側室淀殿との間に2人目の男の子として、生まれたのが秀頼です。
その後秀頼は徳川家康の娘、千姫と結婚しています。
敵方になる親父の娘と結婚。戦国時代は悲しいですね。
【徳川家】
徳川家といえば、家康さんです。
ちなみに、旧姓は松平で、個人的には松平家康がしっくりきます。
徳川への改姓についてはややこしいので、省きます。
<パパ>
家康のパパはこの人。
松平広忠(ひろただ)です。
織田家とは、
一方、今川家とは竹千代(家康の幼名)を人質に出すことで友好関係をはかります。
その後、家臣の謀反によって殺されてしまいます。
<ジュニア>
家康の長男です。
「えっ秀忠じゃないの?」と思う人もいるかもしれませんが、
秀忠は家康の三男なんですね。
なんで、信康が徳川家の後継者じゃないかというと、切腹して死んでしまうからです。
というのは、信康は織田信長の娘、徳姫と結婚します。
しかし、信康の母、築山殿は徳姫と仲が悪かったんですね。
そして、徳姫はパパである信長に手紙を書くんですね。
「築山殿と仲が悪いです。」
「築山殿は武田家と内通(裏でつながってます)してます。」
そして、信長は家康に信康の切腹を要求。
これについては、松平家で反対意見が多数出たようですが、
家康は信長との関係を重んじ、信康に切腹を命じます。
また、築山殿も家臣に切られてしまいます。
戦国時代の知る事件の中で、1番悲しい事件です。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
まだ今川家、斎藤家、北畠家とか紹介できていませんが
また次の機会に紹介したいと思います。
これをきっかけにして、少し戦国時代についての知識を広げてみてはいかがでしょう。
来年、再来年の大河ドラマはどちらも戦国時代にまつわる主人公が出てくるので!
なお、ゲームで勉強したい方は信長の野望がおすすめです。
それでは!